「加世田のちのくすり」は江戸時代に漢方医学の現場の中で考案された、青木家に伝わる日本古来の煎じ薬です。
青木家は鹿児島県南さつま市大浦町(旧・加世田郷)で医業を始め、門外不出・家伝直伝・一子相伝で受け継がれてきた家伝薬を現在18代目青木浩太郎が製薬を行っています。
青木家の軌跡
青木流芳院は鹿児島県南さつま市大浦町にあります。のどかな自然のなか今も昔から変わらぬ手作業での製薬を行っています。
院内には青木家と「ちのくすり」の歴史を紐解く様々なものが遺されており、先人の知恵や想いを垣間見ることができます。
密貿易と関わりのあった南薩摩
青木流芳院のある南さつま市大浦(旧・加世田郷)の近くには、古くから栄えた港町・坊津(ぼうのつ)があります。坊津は伊勢の安濃津や、博多の那ノ津と並び、日本三津(さんしん)と称された港町で、古代は遣唐使船の寄港地として中国や南方諸国の受け入れ口として栄えていました。
江戸時代には鎖国令が敷かれ、貿易は長崎の出島のみに制限されることになりました。しかし大陸との交易を重要視していた薩摩藩は幕府の監視をすり抜けながら琉球を通じて貿易を続けました。
その大陸からは貴重な薬草をはじめ医療の知識技術も輸入され、その関わりが『ちのくすり』を生む源(みなもと)にもなっています。(※参考:富山薬売薩摩組)
医療の現場から生まれた家伝薬
”加世田の『ちのくすり』”は、治療院を営んでいた青木家が、その医療の現場で編み出した家伝直伝の家伝薬です。江戸時代は日本各地で”くすり”が登場しはじめ漢方医学が中心の当時は生薬の需要も増え栽培も奨励されました。和漢の様々な生薬を独自に調合し施薬を行ったその処方が、ちのみち(血の道)を治療する「神命湯」、女性に最適な「青木家宝湯」、アトピー皮膚アレルギーに有効な「浄血湯」など複数の処方を生み出しその総称を「加世田血脳薬(かせだちのくすり)」と呼ぶようになりました。
今でもその製法は変わらず、南薩摩で手作りの製法を行っています。
開業許可証を鹿児島縣令岩村通俊代理、鹿児島縣書記官渡辺千秋宛に送った書面です。
営業鑑札御下附ノ願に対する鹿児島縣令岩村通俊代理、鹿児島縣書記官渡辺千秋宛からの返信です。
医学に携わる者のくすりの参考書です。
家伝名薬が右から書かれていたり、漢字が旧字体になっているところが時代を感じさせます。
煎じ薬の材料などを粉状にひくために用いた道具です。
煎じ薬の材料などを保管するための保管庫です。